政治・外交
令和7年7月21日
内政
(1)政体
ハリーファ家出身の国王を統治者とする世襲君主制。国王位は男系長子相続制により継承される。国王は勅命により立法権を行使する他,首相,閣僚及び裁判官の任免,法律の公布等により実質的に三権を掌握している。
(2)政治情勢概況
ア.ハマド国王の下、サルマン皇太子が首相(及び主要閣僚がメンバーとなっている経済開発委員会(EDB)の議長)を兼任し、国家行政、経済を執行・運営している。
イ.1999年3月6日、イーサ首長の急逝により第11代首長に即位したハマド首長(2002年の憲法改正により国王に即位)は、国民との融和による安定的な国家の繁栄を目指し、積極的な制度改革に取り組んだ。2002年の憲法改正はその集大成であり、同年の本格的な普通選挙による公選議会の発足等改革を進めた。
ウ.2009年4月、ハマド国王は、シーア派活動家を含む178名に恩赦を与え、2008年末から再び活発化していたシーア派国民によるデモや抗議活動の沈静化を図った。他方、シーア派国民は、政治、経済及び社会的に差別されているとの意識を持っており、引き続きデモ等の抗議活動が散発的に行われていた。
エ.2010年10月、下院議員選挙が行われ、反政府政治団体ウィファークが18議席を獲得した。
オ.2011年2月、「アラブの春」の影響を受け、シーア派を中心とする大規模な反政府デモが活発化。首都マナーマの交通の要衝である「真珠広場」がその中心地となった。同3月、一部の過激化した反政府派の人々と治安部隊が衝突した結果、国家非常事態宣言が発出され、反政府運動は鎮圧された。またその際、サウジアラビア軍を中心とするGCC(湾岸協力理事会)合同軍がバーレーンに進出した。
カ.2011年6月、国家非常事態宣言が解除され、7月には「国民対話」、9月には(反政府派議員の辞任に伴う)下院の補選が実施。反政府派も、認可された平和的な抗議デモを再開。
キ.またハマド国王の主導により、2011年2月の騒擾時の様々な事案を検証する「独立調査委員会」が設立。同11月には政治改革を含む提言が提出され、バーレーン政府はその実現にコミットした。2012年5月には下院の権限を強化する憲法改正を実施。しかし、シーア派を中心とする反政府派は、対応が十分でないとして引き続き政府を批判。
キ.2012年12月のサルマン皇太子の演説で融和の機運が高まり、2013年1月にハマド国王が国民対話を呼びかけた。これを踏まえ、2013年2月に政府、政府派政治団体、反政府派政治団体および議会関係者との間で国民対話が開始されたが成果なく終了。2014年に入ってサルマン皇太子のイニシアティブで、政府と反政府派との水面下の協議が行われたが成果なく、2014年11月の下院選挙を反政府派がボイコットした。
ク.2018年6月、反政府シーア派政治団体ウィファークを解散させ、同7月、反政府派の精神的指導者イーサ・カーシム師の国籍剥奪措置を取った。また、2017年5月には、反政府世俗派政治団体ワアドに対する解散判決が下された。
ケ.2018年11月に下院議員選挙が実施され、政府が発表した投票率は67%に達した。
コ. 2020年11月、ハリーファ首相の薨去に伴い、サルマン皇太子が首相に任命された。
サ. 2022年11月に下院議員選挙が実施され、政府発表の投票率は73%に達した。次回選挙は、2026年に予定されている。
(3)政府の基本姿勢
ア.平和的・安定的な国家の発展と各種産業の育成,金融・貿易センターとしての発展を通じた経済的繁栄の確保。
イ.湾岸地域の安全確保とGCCの継続的発展。
ウ.相互尊重および内政不干渉の原則に立脚した国際秩序の確保と諸外国との友好・協力関係の増進
エ.産業の多角化を通じた雇用創出とバーレーン人の職業訓練を通じた失業問題の解消。
オ.経済自由化による外国投資の誘致と民間セクター主導による経済の活性化。
2.外交
(1)外交方針
ア.基本的環境
・湾岸諸国(GCC加盟国)との連帯関係を最優先事項としている。
・近隣の強国イランを潜在的脅威と捉えている。
・石油供給ルートであるアラビア湾地域の重要性に配慮している。
・GCC諸国に加えて、米国及び英国を始めとする同盟国との協力関係を安全保障の基軸としている。
イ.基本方針
・世界平和と安全の達成という国連の目的への支持と国連憲章の遵守。
・アラブ連盟、イスラム会議機構(OIC)及び非同盟運動(NAM)内での連帯強化。相互尊重、内政不干渉等の原則に基づく諸外国との友好関係の維持・強化。
・GCC体制の維持強化、協力と協調を通じた政治的安定、集団安全保障、経済的繁栄の達成。
・中東和平プロセスについては、2020年9月にイスラエルとの国交正常化に踏み切ったものの、引き続き二国家解決を支持し、パレスチナ人の諸権利獲得に連帯を表明。
(2)二国間関係
ア.サウジアラビア
バーレーンはGCC諸国との連帯を外交基本方針とし、従来よりGCCとしての政策立案とその執行に積極的に参画しており、加盟国の中でもサウジアラビアとは海上架橋(コーズウェイ)で結ばれており(鉄道プロジェクトが付随の第2コーズウェイの建設計画も進行中)、また同国との共同油田(アブサファ海上油田)産出油の半分の提供を受ける等最も密接な関係にある。
2011年2月~3月に当地で大規模な反政府デモが発生した際、サウジアラビア軍を中心とするGCC合同軍がバーレーンに進出。具体的な軍事行動は取らなかったが、本島内に駐屯した。また、この際、サウジ、UAE、カタール、クウェートがバーレーンに対して各国が100億ドルを支援するための「GCC開発基金」を設置。
イ.米国
基本的には極めて緊密な関係にある。スタンダード石油会社による石油発見(1932年)以来の米国の湾岸地域における政治・軍事・経済活動の重要拠点。バーレーン側は自国及び地域の安全保障を米国の軍事プレゼンスに期待し、最大限の協力を行っており、NATO域外における米国の最善の同盟国を標榜。実際に、イラン・イラク戦争及び湾岸戦争を経て、バーレーンは米海軍第5艦隊の本拠点となっている。また2006年1月、湾岸諸国では初めてとなる自由貿易協定(FTA)を締結。
2011年2~3月に当地で大規模な反政府デモが発生して以来、米国はオバマ政権の下、二国間ベースのほか、国連人権理事会におけるバーレーン人権状況に関する共同ステートメントに参加する等、バーレーンの様々な人権問題に懸念を表明しており、人権分野をめぐって両国の関係は良好とは言えなかったが、トランプ政権になってから両国関係は好転し、相互のハイレベルの要人往来が続いた。政権末期には、同大統領の仲介によるアブラハム合意への参加に最終的にバーレーンも応じるなど、同政権下で同盟関係はこれまで以上に蜜月となった。
バーレーンは、イランを最大の不安定化工作国と見なす中、2020年6月にバーレーンを訪問したフック米国務省イラン担当特別代表との間で、2011年のアラブの春以降のイランによるバーレーンにおける治安攪乱工作の現状認識共有とイランの工作からバーレーンを政治的・治安的に守るための方策を協議。同年12月に開催された第1回バーレーン・米戦略対話では、防衛協力、地域安全保障及び繁栄の方策、経済・貿易、人権問題について議論が行われ、2021年1月にはラーシド内相及びウルフ国土安全保障長官代行が、国境警備及び税関、テロ及び越境組織犯罪対策、グローバル・エントリー(US Customs and Border Protection program)に関する3本の協力覚書を署名し、これまで以上に当局間での関係強化が進んだ。2022年、オンライン開催された第2回バーレーン・米戦略対話では、両国外相レベルが議長を務め、安全保障、治安協力、経済協力、人権問題等について議論が行われた。2023年9月、訪米したサルマン皇太子兼首相は、ブリンケン米国務長官と「包括的安全保障統合・繁栄協定(C-SIPA)」に署名した。これは地域の安全保障と経済統合に対する米のコミットメントの新たな形として示された行政取極であり、非NATO同盟国かつ米海軍第5艦隊の拠点を擁するバーレーンとの関係強化を目的として、安全保障、経済、科学技術の3つの協力分野を明記している。
ウ.英国
かつての英国統治以来の緊密な関係にある。特に英王室とハリーファ家との関係は極めて親密であり、私的訪問も含め相互の交流は頻繁。1992年7月防衛協力に関する合意文書に署名した。両国は2014年12月、改めて防衛協定を締結し、英国のバーレーンにおける海軍基地建設が合意され、2015年10月着工した。同基地は、スエズ危機により英国軍が中東を離れて以来の英国軍の本格的な中東復帰として関心が持たれていたが、2016年11月、海軍支援施設(Naval Support Facility)として開所(2018年、同施設は規模拡大)。2016年はバーレーンと英国の修交200周年に当たり、チャールズ英皇太子がバーレーンを訪問して開所式に出席。同年、メイ首相及びジョンソン外相もバーレーンを訪問。2018年には、ハーリド外相、2019年にはナーセル殿下及びハーリド殿下同行の下、ハマド国王が、2020年にはザヤー二外相が訪英しており、ハイレベルの要人往来が活発。2023年5月、ハマド国王及びサルマン皇太子は、チャールズ3世英国王戴冠式に参列(ハマド国王2024年にも訪英)。また、2024年12月に英国のC-SIPA加入が決まる等、協力の範囲は拡大している。
エ.イラン
バーレーンはシーア派人口が人口の約6割から7割を占めることから、バーレーン政府は、イランの影響力拡大に対する潜在的警戒心が根強い。1996年6月に発覚した政府転覆計画に関し、バーレーン政府はイランが関与していた旨発表し、駐イラン・バーレーン大使を召還した。1997年にイランでハタミ政権が成立してからは、同年12月に、大使の交換(復帰)が実現し、1999年5月には、政治及び経済分野における両国合同委員会の設立に合意するなど関係改善が進んだ。その後も、2002年8月のハマド国王のイラン訪問、2003年5月のハタミ大統領のバーレーン訪問が行われ、2007年11月には、アフマディネジャード大統領が当国を訪問している。
かかる一定の関係改善の兆しが見えた中、2011年2~3月の「アラブの春」を受けた騒擾事案が発生した際、バーレーン政府はイランの内政介入を主張しこれを強く非難。双方の大使は本国に召還された。その後駐イラン・バーレーン大使はイランに戻ったものの、バーレーン政府はイランによる内政干渉があるとして批判的な立場を崩さなかった。2015年10月、バーレーン政府は、イランによるテロ要員の訓練や武器・爆薬等のバーレーンへの密輸が引き続き行われ、バーレーンの独立・主権を侵害しているとして、駐イラン・バーレーン大使召還と在バーレーン・イラン大臨代の国外退去を決定。2016年1月、サウジがイランとの外交関係断絶に踏み切ると、バーレーンもこれにならってイランと断交した。トランプ政権下の対イラン強硬策に乗じて、反イランの姿勢を強めた。
2020年1月3日、ソレイマニ・イラン革命ガード・コッヅ部隊司令官の暗殺を受け、バーレーン外務省は、事態の沈静化に向け国際社会が速やかに行動する重要性を強調する声明を発出。また、内務省は、バーレーン国内の治安の攪乱を試みるSNS場での発信に警戒を発し、5日にはハリーファBDF司令官が国防軍幹部都の会合で,国防軍全部隊の事態対処と即応能力高揚に資する様々な軍事的な準備と訓練計画につき話し合い、警戒度を高めた。
2023年3月、サウジがイランと国交正常化し、バーレーンはこれを歓迎。24年5月以降は、バーレーンもイランとの関係正常化交渉を開始。2025年4月には、ハマド国王がペゼシュキヤン大統領と電話会談を行うなど、関係改善が見られる(両国首脳間の調節のやりとりとしては約23年ぶり)。
オ.カタール
18世紀末、ハリーファ家は、ズバーラ地区(カタール北西部)からバーレーン島へ移住。その後20世紀に、カタールで石油や天然ガスの埋蔵が発見されると、カタール経済は急成長を遂げた。ハリーファ家としては、カタール発展の基礎を築いたのは自分たちであると自負しており、両国間には歴史的不和が存在すると言われている。これに加え長年領土問題を抱えてきた過去があり、2001年ICJ判決でハワール島を巡る領土問題は一応の解決に至ったものの、ほとんどの肥沃な魚礁につきカタールの領有権が認められるなど、バーレーン側には不満の残る結果となった。
2017年6月、バーレーンはサウジ、UAE及びエジプトともに、テロ支援や内政干渉を理由にカタールとの外交関係断絶に踏み切った。これを受け、カタールは上述の「GCC開発基金」を離脱したため、残りの3か国がバーレーンに対して75億ドルの支援を継続。更に2018年にも、5年間で100億ドルの追加供与をバーレーンに約束。その後、約4年間にも及ぶカタール封鎖が続いたが、2021年1月、ウラーで開催された第41回GCCサミットにてカタールとの和解に向けて各国が努力することを約束するウラー宣言が発出された。2023年4月に外交関係再開について合意し、同5月には直行便が再開された。
カ.中国
2013年9月にハマド国王が中国を訪問し、それ以降バーレーン・中国双方の経済ミッションの往来が活発となり、2014年10月には兪正声政治協商会議主席(党政治局員)がバーレーンを訪問した。ファーウェイ社がバーレーンに中東統括拠点を構えている(2004年以降)こともあり、同社責任者がバーレーン政府要人と頻繁に会談を実施している他、ドラゴンシティ(2015年に開業した複合商業施設)は、中国製品の重要な流通センターとして存在しており、また、2018年のバーレーンによる一帯一路構想への参加表明(AIIBへの参加は2017年)後、中国企業及び中国人のバーレーン進出は加速しているとされている(在留中国人は2300人以上)。また,両国は,バーレーン大学における孔子学院開設(2014年)、中国政府との中国文化センター設立に関する覚書署名(2016年)、マナーマと友好都市協定を締結している深セン市とのハイレベル・ビジネス代表団による相互訪問を通じて、関係強化を進めてきた。
2020年8月には、シノファーム及びG-42(アブダビを拠点とするAI・クラウドコンピューティング企業)と共に新型コロナウイルス・ワクチンの臨床試験として世界初となる第3相試験を開始。同年12月13日にシノファーム製ワクチンを承認し、17日には自国民及び在住外国人に対して無料でのワクチン接種を開始。バーレーンでシノファーム製ワクチンの接種が開始された2020年12月以降、中国はその需要に関心を持ってきており、1月にはシノファーム社が10万回分、3月には中国政府が30万回分のワクチンを提供。2021年3月の王毅中国外交部長による中東6ヶ国歴訪の一貫でバーレーンを訪問(同時にサウジ、トルコ、イラン、UAE、オマーンを訪問)。ザヤーニ外相が医療保健分野においてG42及びシノファームとの協力を継続させていく旨発言。なお、右訪問では、文化協力協定が署名された。また、中国側は中東の安全・安定実現のための5つのイニシアティブを提唱。
2022年1月、中東6ヶ国(サウジ、トルコ、イラン、クウェート、オマーン、バーレーン)外相及びGCC事務局長が訪中し、同9月には国連総会期間中、中国・GCC外相集団会見を実施。更に同12月、GCC・中国サミットの傍ら、ハマド国王は習近平中国国家主席と会談。湾岸・アラブ地域と中国の外交及びビジネスにおける協力案件の増加に伴い、バーレーン・中国の交流機会も増加傾向にある。
2024年5月、アラブ連盟議長国として、ハマド国王が訪中し、包括的戦略的パートナーシップ(CSP)に合意。CSP共同声明においては「一つの中国」原則への支持が明記。また、貿易・投資、保健、宇宙、通信、メディア、学術等の幅広い分野における10の覚書に署名。
キ.ロシア
ハマド国王は、2014年10月及び2016年2月に訪露。バーレーンは産業用及び発電用として天然ガスの活用を目指しており、液化天然ガス(LNG)受入設備を建設。ハマド国王の2016年2月の訪露時には、バーレーンによる露産LNG購入に関して双方が合意。ハマド国王は、2016年9月にも訪露し、液化天然ガス分野での協力に関するバーレーンのNOGAホールディングスとガスプロム社との間の覚書を締結した。バーレーンとしては露産LNGの輸出基地となるべく、ロシアとの関係強化を図っている。また、ロシアからの武器や軍事技術の導入についても関心をもっている。
2019年11月には、ハーリド前外相が訪露し、ラブロフ外相と会談、2020年2月にも電話会談を行っており、シリアを含む中東地域及び国際社会の平和と安定の維持に向けてロシアが果たす役割を支持するのがバーレーンの基本的立場。2021年7月にザヤーニ外相が訪露し、ラブロフ外相と会談を実施。2022年4月にもザヤーニ外相は訪露し、5月には、ラブロフ外相がバーレーンを訪問。同9月、ハマド国王はプーチン大統領と電話会談した。また、24年5月にハマド国王が訪ロし、プーチン大統領と会談した際に「イランとの関係正常化を遅らせる理由はない」と述べる等、伝統的友好関係にある西側諸国に関係強化を限定せず、多角的な外交を目指す姿勢が見て取れる。外交関係樹立35周年を迎える2025年には、バーレーンはサンクトペテルスブルク国際経済フォーラムに、主賓として招待された。
ク.インド
バーレーンにおけるインド人人口は、2000年の約9万人から2025年には35万人以上に増加し、現在は当地総人口のほぼ4分の1を占めている。特に急速な経済成長を遂げているインドに対するバーレーンの関心は高く、2010年2月にはハーリド前外相、2012年5月及び2013年3月にはサルマン皇太子、2014年2月にはハマド国王がインドを訪問している。2016年1月にはスワラージ印外相がバーレーンを訪問し、第1回アラブ・インド協力フォーラム外相会合が開催され、2018年に同外相がバーレーンを再訪した際には、在バーレーン・インド大使館の改築に伴う新規開設式典に出席するととも
に、第2回バーレーン・インド合同委員会を開催。
2019年モディ首相がインド首相として初めてバーレーンを訪問。2020年11月、故ハリーファ前首相の薨去を受けた弔意を表明するため、ジャイシャンカル印外相が訪問し、サルマン皇太子及びアリー副首相(故ハリーファ前首相の長男)と会談。2021年1月、バーレーンではシノファーム製ワクチンが幅を利かせる中、印も当地にてワクチン外交を展開し、印国内生産のアストラゼネカ製ワクチン「コビシールド」の供給を行った。同年4月にザヤーニ外相がインドを訪問し、副首相と会談を行ったほか、印外相と共に第2回バーレーン・インド閣僚級合同委員会を開催するなど、二国間関係の発展が著しい。2023年3月、ファフロ商業・工業相は官民合同ミッションを率い、インドを訪問。2023年5月、第6回バーレーン・インド外交政策協議が開催された。24年12月、ジャイシャンカル外相が第20回マナーマ対話に登壇するとともに、第4回高級合同委員会(外相級)を開催。
(3)中東和平
ア.パレスチナ問題に関しては、直接の和平当事国ではないため、概して控え目な対応を取り、アラブ連盟あるいはGCCの立場に従っていたが、歴史的にユダヤ人コミュニティーを抱えており、寛容、共存を基軸にする国家であると自らを位置付けている。2019年6月、バーレーンは、トランプ米大統領の中東和平案の経済分野に関する提案が行われた「繁栄への平和」経済ワークショップを主催。同年7月には、ワシントンにおいて開催された「宗教の自由の促進に関する閣僚会合」おいてハーリド前外相とカッツ元イスラエル外相が立ち話をしたと海外メディアに報じられており、また、同月にネタニヤフ・イスラエル首相が,ハマド国王に対して会談の実施を求めたが、同国王は、「時期尚早である」として右提案を拒否したと海外メディアに報じられていた。
イ.2020年8月13日にUAEがイスラエルとの国交正常化に踏み切ったことを受け、クシュナー大統領上級顧問及びポンペオ米国務長官のバーレーン訪問が続いた後、9月11日、トランプ米大統領とハマド国王の電話会談の中で、バーレーンのアブラハム合意(イスラエルとの国交正常化)への参加が発表されたバーレーンは、イスラエルとの国交正常化後も、国際的な正当性を有する決議及びアラブ和平イニシアティブ等に基づき、東エルサレムを首都とする1967年の国境線に沿った独立パレスチナ国家を建設するとの二国家解決の立場を引き続き堅持する旨強調。他方で、パレスチナ和平交渉は行き詰まり、新たなアプローチが必要であるとの見解も示している。
ウ.2020年10月、イスラエル・米合同代表団が当地訪問の際、バーレーン及びイスラエルによる外交・平和・友好関係樹立に関する共同コミュニケや貿易、経済、航空便、農業、通信、情報通信、郵便分野での協力のためのバーレーンとイスラエルの間のいくつかの合意及び覚書が署名され、2021年9月、ガルフ航空テルアビブ行き航空便が就航(ただし、2025年7月現在運航停止中)。
エ. 2021年10月にラピード外相、2022年2月にガンツ防衛相及びベネット首相、同12月にヘルツォグ大統領がバーレーンを訪問。2022年2月のガンツ防衛相訪問時には、軍事協力に関する覚書に署名。
オ. 2023年10月のハマスによるイスラエル攻撃に端を発するガザ危機が発生すると、両国大使が一時帰国するも、現在(2025年7月時点)では両国大使館は平常に機能。バーレーンはイスラエルによるガザ侵攻を度々名指しで非難している他、3度に渡って医療・食料品を中心とした支援物資をガザへ送っている。
(1)政体
ハリーファ家出身の国王を統治者とする世襲君主制。国王位は男系長子相続制により継承される。国王は勅命により立法権を行使する他,首相,閣僚及び裁判官の任免,法律の公布等により実質的に三権を掌握している。
(2)政治情勢概況
ア.ハマド国王の下、サルマン皇太子が首相(及び主要閣僚がメンバーとなっている経済開発委員会(EDB)の議長)を兼任し、国家行政、経済を執行・運営している。
イ.1999年3月6日、イーサ首長の急逝により第11代首長に即位したハマド首長(2002年の憲法改正により国王に即位)は、国民との融和による安定的な国家の繁栄を目指し、積極的な制度改革に取り組んだ。2002年の憲法改正はその集大成であり、同年の本格的な普通選挙による公選議会の発足等改革を進めた。
ウ.2009年4月、ハマド国王は、シーア派活動家を含む178名に恩赦を与え、2008年末から再び活発化していたシーア派国民によるデモや抗議活動の沈静化を図った。他方、シーア派国民は、政治、経済及び社会的に差別されているとの意識を持っており、引き続きデモ等の抗議活動が散発的に行われていた。
エ.2010年10月、下院議員選挙が行われ、反政府政治団体ウィファークが18議席を獲得した。
オ.2011年2月、「アラブの春」の影響を受け、シーア派を中心とする大規模な反政府デモが活発化。首都マナーマの交通の要衝である「真珠広場」がその中心地となった。同3月、一部の過激化した反政府派の人々と治安部隊が衝突した結果、国家非常事態宣言が発出され、反政府運動は鎮圧された。またその際、サウジアラビア軍を中心とするGCC(湾岸協力理事会)合同軍がバーレーンに進出した。
カ.2011年6月、国家非常事態宣言が解除され、7月には「国民対話」、9月には(反政府派議員の辞任に伴う)下院の補選が実施。反政府派も、認可された平和的な抗議デモを再開。
キ.またハマド国王の主導により、2011年2月の騒擾時の様々な事案を検証する「独立調査委員会」が設立。同11月には政治改革を含む提言が提出され、バーレーン政府はその実現にコミットした。2012年5月には下院の権限を強化する憲法改正を実施。しかし、シーア派を中心とする反政府派は、対応が十分でないとして引き続き政府を批判。
キ.2012年12月のサルマン皇太子の演説で融和の機運が高まり、2013年1月にハマド国王が国民対話を呼びかけた。これを踏まえ、2013年2月に政府、政府派政治団体、反政府派政治団体および議会関係者との間で国民対話が開始されたが成果なく終了。2014年に入ってサルマン皇太子のイニシアティブで、政府と反政府派との水面下の協議が行われたが成果なく、2014年11月の下院選挙を反政府派がボイコットした。
ク.2018年6月、反政府シーア派政治団体ウィファークを解散させ、同7月、反政府派の精神的指導者イーサ・カーシム師の国籍剥奪措置を取った。また、2017年5月には、反政府世俗派政治団体ワアドに対する解散判決が下された。
ケ.2018年11月に下院議員選挙が実施され、政府が発表した投票率は67%に達した。
コ. 2020年11月、ハリーファ首相の薨去に伴い、サルマン皇太子が首相に任命された。
サ. 2022年11月に下院議員選挙が実施され、政府発表の投票率は73%に達した。次回選挙は、2026年に予定されている。
(3)政府の基本姿勢
ア.平和的・安定的な国家の発展と各種産業の育成,金融・貿易センターとしての発展を通じた経済的繁栄の確保。
イ.湾岸地域の安全確保とGCCの継続的発展。
ウ.相互尊重および内政不干渉の原則に立脚した国際秩序の確保と諸外国との友好・協力関係の増進
エ.産業の多角化を通じた雇用創出とバーレーン人の職業訓練を通じた失業問題の解消。
オ.経済自由化による外国投資の誘致と民間セクター主導による経済の活性化。
2.外交
(1)外交方針
ア.基本的環境
・湾岸諸国(GCC加盟国)との連帯関係を最優先事項としている。
・近隣の強国イランを潜在的脅威と捉えている。
・石油供給ルートであるアラビア湾地域の重要性に配慮している。
・GCC諸国に加えて、米国及び英国を始めとする同盟国との協力関係を安全保障の基軸としている。
イ.基本方針
・世界平和と安全の達成という国連の目的への支持と国連憲章の遵守。
・アラブ連盟、イスラム会議機構(OIC)及び非同盟運動(NAM)内での連帯強化。相互尊重、内政不干渉等の原則に基づく諸外国との友好関係の維持・強化。
・GCC体制の維持強化、協力と協調を通じた政治的安定、集団安全保障、経済的繁栄の達成。
・中東和平プロセスについては、2020年9月にイスラエルとの国交正常化に踏み切ったものの、引き続き二国家解決を支持し、パレスチナ人の諸権利獲得に連帯を表明。
(2)二国間関係
ア.サウジアラビア
バーレーンはGCC諸国との連帯を外交基本方針とし、従来よりGCCとしての政策立案とその執行に積極的に参画しており、加盟国の中でもサウジアラビアとは海上架橋(コーズウェイ)で結ばれており(鉄道プロジェクトが付随の第2コーズウェイの建設計画も進行中)、また同国との共同油田(アブサファ海上油田)産出油の半分の提供を受ける等最も密接な関係にある。
2011年2月~3月に当地で大規模な反政府デモが発生した際、サウジアラビア軍を中心とするGCC合同軍がバーレーンに進出。具体的な軍事行動は取らなかったが、本島内に駐屯した。また、この際、サウジ、UAE、カタール、クウェートがバーレーンに対して各国が100億ドルを支援するための「GCC開発基金」を設置。
イ.米国
基本的には極めて緊密な関係にある。スタンダード石油会社による石油発見(1932年)以来の米国の湾岸地域における政治・軍事・経済活動の重要拠点。バーレーン側は自国及び地域の安全保障を米国の軍事プレゼンスに期待し、最大限の協力を行っており、NATO域外における米国の最善の同盟国を標榜。実際に、イラン・イラク戦争及び湾岸戦争を経て、バーレーンは米海軍第5艦隊の本拠点となっている。また2006年1月、湾岸諸国では初めてとなる自由貿易協定(FTA)を締結。
2011年2~3月に当地で大規模な反政府デモが発生して以来、米国はオバマ政権の下、二国間ベースのほか、国連人権理事会におけるバーレーン人権状況に関する共同ステートメントに参加する等、バーレーンの様々な人権問題に懸念を表明しており、人権分野をめぐって両国の関係は良好とは言えなかったが、トランプ政権になってから両国関係は好転し、相互のハイレベルの要人往来が続いた。政権末期には、同大統領の仲介によるアブラハム合意への参加に最終的にバーレーンも応じるなど、同政権下で同盟関係はこれまで以上に蜜月となった。
バーレーンは、イランを最大の不安定化工作国と見なす中、2020年6月にバーレーンを訪問したフック米国務省イラン担当特別代表との間で、2011年のアラブの春以降のイランによるバーレーンにおける治安攪乱工作の現状認識共有とイランの工作からバーレーンを政治的・治安的に守るための方策を協議。同年12月に開催された第1回バーレーン・米戦略対話では、防衛協力、地域安全保障及び繁栄の方策、経済・貿易、人権問題について議論が行われ、2021年1月にはラーシド内相及びウルフ国土安全保障長官代行が、国境警備及び税関、テロ及び越境組織犯罪対策、グローバル・エントリー(US Customs and Border Protection program)に関する3本の協力覚書を署名し、これまで以上に当局間での関係強化が進んだ。2022年、オンライン開催された第2回バーレーン・米戦略対話では、両国外相レベルが議長を務め、安全保障、治安協力、経済協力、人権問題等について議論が行われた。2023年9月、訪米したサルマン皇太子兼首相は、ブリンケン米国務長官と「包括的安全保障統合・繁栄協定(C-SIPA)」に署名した。これは地域の安全保障と経済統合に対する米のコミットメントの新たな形として示された行政取極であり、非NATO同盟国かつ米海軍第5艦隊の拠点を擁するバーレーンとの関係強化を目的として、安全保障、経済、科学技術の3つの協力分野を明記している。
ウ.英国
かつての英国統治以来の緊密な関係にある。特に英王室とハリーファ家との関係は極めて親密であり、私的訪問も含め相互の交流は頻繁。1992年7月防衛協力に関する合意文書に署名した。両国は2014年12月、改めて防衛協定を締結し、英国のバーレーンにおける海軍基地建設が合意され、2015年10月着工した。同基地は、スエズ危機により英国軍が中東を離れて以来の英国軍の本格的な中東復帰として関心が持たれていたが、2016年11月、海軍支援施設(Naval Support Facility)として開所(2018年、同施設は規模拡大)。2016年はバーレーンと英国の修交200周年に当たり、チャールズ英皇太子がバーレーンを訪問して開所式に出席。同年、メイ首相及びジョンソン外相もバーレーンを訪問。2018年には、ハーリド外相、2019年にはナーセル殿下及びハーリド殿下同行の下、ハマド国王が、2020年にはザヤー二外相が訪英しており、ハイレベルの要人往来が活発。2023年5月、ハマド国王及びサルマン皇太子は、チャールズ3世英国王戴冠式に参列(ハマド国王2024年にも訪英)。また、2024年12月に英国のC-SIPA加入が決まる等、協力の範囲は拡大している。
エ.イラン
バーレーンはシーア派人口が人口の約6割から7割を占めることから、バーレーン政府は、イランの影響力拡大に対する潜在的警戒心が根強い。1996年6月に発覚した政府転覆計画に関し、バーレーン政府はイランが関与していた旨発表し、駐イラン・バーレーン大使を召還した。1997年にイランでハタミ政権が成立してからは、同年12月に、大使の交換(復帰)が実現し、1999年5月には、政治及び経済分野における両国合同委員会の設立に合意するなど関係改善が進んだ。その後も、2002年8月のハマド国王のイラン訪問、2003年5月のハタミ大統領のバーレーン訪問が行われ、2007年11月には、アフマディネジャード大統領が当国を訪問している。
かかる一定の関係改善の兆しが見えた中、2011年2~3月の「アラブの春」を受けた騒擾事案が発生した際、バーレーン政府はイランの内政介入を主張しこれを強く非難。双方の大使は本国に召還された。その後駐イラン・バーレーン大使はイランに戻ったものの、バーレーン政府はイランによる内政干渉があるとして批判的な立場を崩さなかった。2015年10月、バーレーン政府は、イランによるテロ要員の訓練や武器・爆薬等のバーレーンへの密輸が引き続き行われ、バーレーンの独立・主権を侵害しているとして、駐イラン・バーレーン大使召還と在バーレーン・イラン大臨代の国外退去を決定。2016年1月、サウジがイランとの外交関係断絶に踏み切ると、バーレーンもこれにならってイランと断交した。トランプ政権下の対イラン強硬策に乗じて、反イランの姿勢を強めた。
2020年1月3日、ソレイマニ・イラン革命ガード・コッヅ部隊司令官の暗殺を受け、バーレーン外務省は、事態の沈静化に向け国際社会が速やかに行動する重要性を強調する声明を発出。また、内務省は、バーレーン国内の治安の攪乱を試みるSNS場での発信に警戒を発し、5日にはハリーファBDF司令官が国防軍幹部都の会合で,国防軍全部隊の事態対処と即応能力高揚に資する様々な軍事的な準備と訓練計画につき話し合い、警戒度を高めた。
2023年3月、サウジがイランと国交正常化し、バーレーンはこれを歓迎。24年5月以降は、バーレーンもイランとの関係正常化交渉を開始。2025年4月には、ハマド国王がペゼシュキヤン大統領と電話会談を行うなど、関係改善が見られる(両国首脳間の調節のやりとりとしては約23年ぶり)。
オ.カタール
18世紀末、ハリーファ家は、ズバーラ地区(カタール北西部)からバーレーン島へ移住。その後20世紀に、カタールで石油や天然ガスの埋蔵が発見されると、カタール経済は急成長を遂げた。ハリーファ家としては、カタール発展の基礎を築いたのは自分たちであると自負しており、両国間には歴史的不和が存在すると言われている。これに加え長年領土問題を抱えてきた過去があり、2001年ICJ判決でハワール島を巡る領土問題は一応の解決に至ったものの、ほとんどの肥沃な魚礁につきカタールの領有権が認められるなど、バーレーン側には不満の残る結果となった。
2017年6月、バーレーンはサウジ、UAE及びエジプトともに、テロ支援や内政干渉を理由にカタールとの外交関係断絶に踏み切った。これを受け、カタールは上述の「GCC開発基金」を離脱したため、残りの3か国がバーレーンに対して75億ドルの支援を継続。更に2018年にも、5年間で100億ドルの追加供与をバーレーンに約束。その後、約4年間にも及ぶカタール封鎖が続いたが、2021年1月、ウラーで開催された第41回GCCサミットにてカタールとの和解に向けて各国が努力することを約束するウラー宣言が発出された。2023年4月に外交関係再開について合意し、同5月には直行便が再開された。
カ.中国
2013年9月にハマド国王が中国を訪問し、それ以降バーレーン・中国双方の経済ミッションの往来が活発となり、2014年10月には兪正声政治協商会議主席(党政治局員)がバーレーンを訪問した。ファーウェイ社がバーレーンに中東統括拠点を構えている(2004年以降)こともあり、同社責任者がバーレーン政府要人と頻繁に会談を実施している他、ドラゴンシティ(2015年に開業した複合商業施設)は、中国製品の重要な流通センターとして存在しており、また、2018年のバーレーンによる一帯一路構想への参加表明(AIIBへの参加は2017年)後、中国企業及び中国人のバーレーン進出は加速しているとされている(在留中国人は2300人以上)。また,両国は,バーレーン大学における孔子学院開設(2014年)、中国政府との中国文化センター設立に関する覚書署名(2016年)、マナーマと友好都市協定を締結している深セン市とのハイレベル・ビジネス代表団による相互訪問を通じて、関係強化を進めてきた。
2020年8月には、シノファーム及びG-42(アブダビを拠点とするAI・クラウドコンピューティング企業)と共に新型コロナウイルス・ワクチンの臨床試験として世界初となる第3相試験を開始。同年12月13日にシノファーム製ワクチンを承認し、17日には自国民及び在住外国人に対して無料でのワクチン接種を開始。バーレーンでシノファーム製ワクチンの接種が開始された2020年12月以降、中国はその需要に関心を持ってきており、1月にはシノファーム社が10万回分、3月には中国政府が30万回分のワクチンを提供。2021年3月の王毅中国外交部長による中東6ヶ国歴訪の一貫でバーレーンを訪問(同時にサウジ、トルコ、イラン、UAE、オマーンを訪問)。ザヤーニ外相が医療保健分野においてG42及びシノファームとの協力を継続させていく旨発言。なお、右訪問では、文化協力協定が署名された。また、中国側は中東の安全・安定実現のための5つのイニシアティブを提唱。
2022年1月、中東6ヶ国(サウジ、トルコ、イラン、クウェート、オマーン、バーレーン)外相及びGCC事務局長が訪中し、同9月には国連総会期間中、中国・GCC外相集団会見を実施。更に同12月、GCC・中国サミットの傍ら、ハマド国王は習近平中国国家主席と会談。湾岸・アラブ地域と中国の外交及びビジネスにおける協力案件の増加に伴い、バーレーン・中国の交流機会も増加傾向にある。
2024年5月、アラブ連盟議長国として、ハマド国王が訪中し、包括的戦略的パートナーシップ(CSP)に合意。CSP共同声明においては「一つの中国」原則への支持が明記。また、貿易・投資、保健、宇宙、通信、メディア、学術等の幅広い分野における10の覚書に署名。
キ.ロシア
ハマド国王は、2014年10月及び2016年2月に訪露。バーレーンは産業用及び発電用として天然ガスの活用を目指しており、液化天然ガス(LNG)受入設備を建設。ハマド国王の2016年2月の訪露時には、バーレーンによる露産LNG購入に関して双方が合意。ハマド国王は、2016年9月にも訪露し、液化天然ガス分野での協力に関するバーレーンのNOGAホールディングスとガスプロム社との間の覚書を締結した。バーレーンとしては露産LNGの輸出基地となるべく、ロシアとの関係強化を図っている。また、ロシアからの武器や軍事技術の導入についても関心をもっている。
2019年11月には、ハーリド前外相が訪露し、ラブロフ外相と会談、2020年2月にも電話会談を行っており、シリアを含む中東地域及び国際社会の平和と安定の維持に向けてロシアが果たす役割を支持するのがバーレーンの基本的立場。2021年7月にザヤーニ外相が訪露し、ラブロフ外相と会談を実施。2022年4月にもザヤーニ外相は訪露し、5月には、ラブロフ外相がバーレーンを訪問。同9月、ハマド国王はプーチン大統領と電話会談した。また、24年5月にハマド国王が訪ロし、プーチン大統領と会談した際に「イランとの関係正常化を遅らせる理由はない」と述べる等、伝統的友好関係にある西側諸国に関係強化を限定せず、多角的な外交を目指す姿勢が見て取れる。外交関係樹立35周年を迎える2025年には、バーレーンはサンクトペテルスブルク国際経済フォーラムに、主賓として招待された。
ク.インド
バーレーンにおけるインド人人口は、2000年の約9万人から2025年には35万人以上に増加し、現在は当地総人口のほぼ4分の1を占めている。特に急速な経済成長を遂げているインドに対するバーレーンの関心は高く、2010年2月にはハーリド前外相、2012年5月及び2013年3月にはサルマン皇太子、2014年2月にはハマド国王がインドを訪問している。2016年1月にはスワラージ印外相がバーレーンを訪問し、第1回アラブ・インド協力フォーラム外相会合が開催され、2018年に同外相がバーレーンを再訪した際には、在バーレーン・インド大使館の改築に伴う新規開設式典に出席するととも
に、第2回バーレーン・インド合同委員会を開催。
2019年モディ首相がインド首相として初めてバーレーンを訪問。2020年11月、故ハリーファ前首相の薨去を受けた弔意を表明するため、ジャイシャンカル印外相が訪問し、サルマン皇太子及びアリー副首相(故ハリーファ前首相の長男)と会談。2021年1月、バーレーンではシノファーム製ワクチンが幅を利かせる中、印も当地にてワクチン外交を展開し、印国内生産のアストラゼネカ製ワクチン「コビシールド」の供給を行った。同年4月にザヤーニ外相がインドを訪問し、副首相と会談を行ったほか、印外相と共に第2回バーレーン・インド閣僚級合同委員会を開催するなど、二国間関係の発展が著しい。2023年3月、ファフロ商業・工業相は官民合同ミッションを率い、インドを訪問。2023年5月、第6回バーレーン・インド外交政策協議が開催された。24年12月、ジャイシャンカル外相が第20回マナーマ対話に登壇するとともに、第4回高級合同委員会(外相級)を開催。
(3)中東和平
ア.パレスチナ問題に関しては、直接の和平当事国ではないため、概して控え目な対応を取り、アラブ連盟あるいはGCCの立場に従っていたが、歴史的にユダヤ人コミュニティーを抱えており、寛容、共存を基軸にする国家であると自らを位置付けている。2019年6月、バーレーンは、トランプ米大統領の中東和平案の経済分野に関する提案が行われた「繁栄への平和」経済ワークショップを主催。同年7月には、ワシントンにおいて開催された「宗教の自由の促進に関する閣僚会合」おいてハーリド前外相とカッツ元イスラエル外相が立ち話をしたと海外メディアに報じられており、また、同月にネタニヤフ・イスラエル首相が,ハマド国王に対して会談の実施を求めたが、同国王は、「時期尚早である」として右提案を拒否したと海外メディアに報じられていた。
イ.2020年8月13日にUAEがイスラエルとの国交正常化に踏み切ったことを受け、クシュナー大統領上級顧問及びポンペオ米国務長官のバーレーン訪問が続いた後、9月11日、トランプ米大統領とハマド国王の電話会談の中で、バーレーンのアブラハム合意(イスラエルとの国交正常化)への参加が発表されたバーレーンは、イスラエルとの国交正常化後も、国際的な正当性を有する決議及びアラブ和平イニシアティブ等に基づき、東エルサレムを首都とする1967年の国境線に沿った独立パレスチナ国家を建設するとの二国家解決の立場を引き続き堅持する旨強調。他方で、パレスチナ和平交渉は行き詰まり、新たなアプローチが必要であるとの見解も示している。
ウ.2020年10月、イスラエル・米合同代表団が当地訪問の際、バーレーン及びイスラエルによる外交・平和・友好関係樹立に関する共同コミュニケや貿易、経済、航空便、農業、通信、情報通信、郵便分野での協力のためのバーレーンとイスラエルの間のいくつかの合意及び覚書が署名され、2021年9月、ガルフ航空テルアビブ行き航空便が就航(ただし、2025年7月現在運航停止中)。
エ. 2021年10月にラピード外相、2022年2月にガンツ防衛相及びベネット首相、同12月にヘルツォグ大統領がバーレーンを訪問。2022年2月のガンツ防衛相訪問時には、軍事協力に関する覚書に署名。
オ. 2023年10月のハマスによるイスラエル攻撃に端を発するガザ危機が発生すると、両国大使が一時帰国するも、現在(2025年7月時点)では両国大使館は平常に機能。バーレーンはイスラエルによるガザ侵攻を度々名指しで非難している他、3度に渡って医療・食料品を中心とした支援物資をガザへ送っている。