バーレーン概観
令和5年6月26日
1. 国名
バーレーン王国 (Kingdom of Bahrain)
「バーレーン」の国名は、「2つの海」を意味するアラビア語。「2つの海」とは、島の周りの海と、海の底から湧き出る真水を指すと言われている。
2. 独立
1971年8月14日
3. 首都
マナーマ (Manama)
4. 位置
アラビア半島東方沖合22kmのペルシャ(アラビア)湾内。北緯25度32分~26度20分 (沖縄とほぼ同緯度)東経50度20分~50度50分。サウジアラビア東岸とカタール半島に挟まれた小島。サウジアラビア東岸とはキング・ファハド・コーズウェイで結ばれている。
5. 面積
786.5 平方km ※仙台市(786.3平方km)面積とほぼ同じ大きさ
6. 地勢
40の島から構成。主要な島はバーレーン本島、ムハッラク島、シトラ島の3島。バーレーン本島とムハッラク、シトラ両島とはそれぞれ連絡橋で連結されている。本島の南東沖合約20kmにはハワール諸島がある。全土のほとんどが平坦な地形であり、本島中央部に一部丘陵部分があるが、最も高いところでも標高137mである。
7. 気候
高温多湿の夏季(5月~10月)と、比較的過ごしやすい冬季(11月~4月)に概ね二分される。
2022年各月の平均気温(℃)、湿度(%)、降雨量等(mm)は次のとおり。
【出典 バーレーン運輸・通信省気象局資料】
8. 人口
総人口 150.4万人(2022年:バーレーン情報・電子政府庁)
・自国民 71.9万人(47.8%)
・外国人 78.5万人(52.2%)
9. 民族構成(外国人を除く)
アラビア半島に起源を有するアラブ人が主流。但しペルシャから渡来したイラン人を先祖に持つイラン系アラブ人も多数。
10. 宗教
国教はイスラム教(スンニ派約3-4割、シーア派約6-7割)
11. 言語
公用語はアラビア語。英語が広く通用。
12. 国祭日
12月16日(イーサ前首長の即位記念日)及び17日
13. 国旗
縦横の比較は4対5、中央より左側5分の1が白色、右側5分の4が赤色で、両色の境界部分は白色と赤色が波形に交叉。赤は祖国のために流された尊い血を表す。白は平和を象徴する。赤と白で作られる5つの波形は、イスラムの教えの5原則(唯一神、祈り、喜捨、断食、巡礼)を表す。
14. 通貨
バーレーン・ディナール(BD)
1米ドル=0.376BD(対ドル固定)
15. 政治体制
(1) 政体: 立憲君主制
(2) 元首: ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ国王陛下
H.M. King Hamad bin Isa Al Khalifa
The King of the Kingdom of Bahrain
1950年1月28日生まれ。1999年3月6日第11代首長に即位、
2002年2月14日の憲法改正により初代国王に即位。
(3) 政党: 政党の設立は禁止されているが、政治団体が選挙の候補者を選出し、議会においてブロックとして活動するなど、実質的に政党の役割を果たしている。
(4) 議会: 勅撰の諮問院(定員40名、サーレフ議長)、公選の下院(定員同、アフマド・ムサッリム議長)からなる二院制。任期は4年(現任期は2022年~2026年まで)。
(5) 行政: 18の省から構成。国内を4つの県に区分。サルマン皇太子が首相を兼任。
16. 軍事
(1) 組織
最高司令官: ハマド国王
副最高司令官: サルマン皇太子兼首相(ハマド国王長男)
総司令官: ハリーファ・ビン・アフマド・アール・ハリーファ元帥(王族)
参謀総長: ズィヤーブ・ビン・サクル・アル・ヌアイミ(中将)
国家防衛隊司令官: ムハンマド殿下(国王の弟)
(2) 兵力他
正規軍: 8,200(陸6,000、海700、空1,500)
準軍事組織: 11,260
(3) 国防費
約14億ドル(2023年予算)
(出典:IISS他)
17. 司法
(1) 法令審査を行う憲法裁判所、民事・刑事訴訟判決の再審を行う破棄院(最高裁に該当)、イスラム法に基づく身分事案を裁くシャリーア裁判所(スンニ系とシーア系に分かれる)、民事裁判所、刑事裁判所の各裁判所・院から成る。
(2) 民事裁判所は控訴院、400BD相当以上の事案を裁く高等裁判所、同金額未満相当の事案を裁く下級裁判所、労働裁判所、執行裁判所等から成る(シャリーア裁判所も基本構成は民事裁判所と同じ)。
(3) 刑事裁判所は控訴院、禁固3年以上若しくは罰金500BD以上の刑罰に相当する刑事事件を裁く高等裁判所及び禁固3年若しくは罰金500BD未満刑罰に相当する刑事事件を裁く下級裁判所から成る。
18. 経済
(1) 最近の状況
ア.国内総生産
名目GDP: 523.9億ドル(2022年) 380.9億ドル(2021年)
実質GDP: 337.3億ドル(2022年) 326.6億ドル(2021年)
イ.経済成長率(2022年/2021年比)
名目GDP: +13.5%
実質GDP: +4.9%
ウ.GDP(実質)に占める主要セクター: 金融17.5%、石油16.9%、製造業14.0%、建設7.2%(2022年)
【出典 バーレーン情報・電子政府庁】
(2) 財政
石油・ガス部門の実質GDP寄与度は2割以下に抑えられているものの、国家財政収入の約6割は石油・ガス部門に依存しており、油価低迷や政府部門の肥大化に加え、新型コロナ感染拡大に伴う経済活動停滞により財政赤字が続く。財政状況の悪化を受けて、付加価値税(VAT)導入や、公共支出削減及び非石油収入増加を織り込んだ「財政均衡プログラム」導入を条件に湾岸3か国(サウジアラビア、UAE、クウェート)による100億米ドルの財政支援が2018年10月に合意された。VATは2019年1月に5%で導入され、2022年1月に10%へ引き上げられた。財政均衡プログラムは当初2022年の財政均衡化達成を目標としていたが、コロナの影響により、2022年1月に経済再生計画が発表され均衡化目標は2024年に後ろ倒しされた。
(単位 :百万BD)
【出典 バーレーン財務・国家経済省】
(3) 経済開発委員会(EDB)による「経済ビジョン2030」
2008年10月、経済開発委員会(議長:サルマン皇太子兼首相)の主導により、21世紀のバーレーンの開発指針を示した「経済ビジョン2030 (Economic Vision 2030)」が公表された。持続可能性、競争力、公平性に基づき、民間主導の経済を目指すものとし、産業多角化促進(主に輸出指向型産業)、世界基準の社会インフラ整備、石油収入依存脱却、自国民の労働能力改善、2030年までの国民所得倍増を掲げている。
(4) 石油・天然ガス
石油埋蔵量・生産量共に他のGCC諸国に比較して極めて小さく、生産量4.2万~4.3万バレル/日のバーレーン油田(内陸油田)と、サウジアラビアとの共同油田でアラムコが操業を行い、サウジ側からバーレーン取り分の15万バレル/日を受け取るアブサファ油田(オフショア油田)がある。2018年にはバーレーン西岸沖で当国史上最大埋蔵量を誇る石油・天然ガス田とされるハリージ・アル・バーレーン油田が発見されたが、採掘の技術的難易度は高いとされている。また国内の電力は主に自国産の天然ガスを利用した火力により発電されているが、2022年には新たな陸上の天然ガス貯留層が発見され2024年の商業化採掘を目指している。
19. 略史
(1) バーレーンは良質の水に恵まれ、紀元前17世紀バビロニア、アッシリア帝国の時代からディルムン、ニデュク・キの名で知られる有力な貿易中継港であった。紀元前7世紀アッシリアの崩壊とともにバーレーンも一時衰えたが、紀元前3世紀から紀元15世紀にかけて真珠の産地として栄えた。
(2) バスコ・ダ・ガマのポルトガル艦隊がインド洋に現れるに至って、ペルシャ湾内にもヨーロッパ勢力が進出し、バーレーンは1521年から1602年までポルトガルの支配に入った。ついで真珠をめぐる争いからポルトガルに代わってペルシャが侵入、約180年間バーレーンを領有した。
(3) 1783年にはアラビア半島からハリーファ家(現王家)率いるウトバ族が到来しペルシャ人を駆逐、約2世紀半にも及ぶ外国支配に終止符を打ち、バーレーン支配を確立した。しかし、英国のインド洋覇権が固まるにつれバーレーンも同国の影響下に置かれるようになり、1861年平和条約、1880年には排他条約を締結し、英国保護領となった。
(4) バーレーンの近代史は1932年の石油生産開始(輸出は1934年から)で幕を開ける。バーレーンは石油採掘利権収入によりいち早く教育、社会資本の整備に着手し、近代化の歩みを開始するとともに、1967年英国のアデン撤退に伴い同国艦隊基地がバーレーンに移転されたことから、バーレーンの政治的・軍事的重要性が高まった。
(5) 1968年英国政府が財政困難を理由にスエズ以東からの撤退を宣言したことを受け、バーレーンは独立し、近隣首長国との連邦結成の方針を決めた。しかし、これに対しイランがバーレーンの領有権を主張し事態は紛糾。その後1970年に国連安保理が斡旋に乗り出したことからイランが領有権主張を撤回、バーレーン住民の意志に基づく独立が認められた。一方、近隣首長国との連邦結成の動きは各国の足並みが揃わず難航したため、バーレーンは1971年単独で独立を宣言した。
20. バーレーン現代史(独立後の推移)
バーレーン王国 (Kingdom of Bahrain)
「バーレーン」の国名は、「2つの海」を意味するアラビア語。「2つの海」とは、島の周りの海と、海の底から湧き出る真水を指すと言われている。
2. 独立
1971年8月14日
3. 首都
マナーマ (Manama)
4. 位置
アラビア半島東方沖合22kmのペルシャ(アラビア)湾内。北緯25度32分~26度20分 (沖縄とほぼ同緯度)東経50度20分~50度50分。サウジアラビア東岸とカタール半島に挟まれた小島。サウジアラビア東岸とはキング・ファハド・コーズウェイで結ばれている。
5. 面積
786.5 平方km ※仙台市(786.3平方km)面積とほぼ同じ大きさ
6. 地勢
40の島から構成。主要な島はバーレーン本島、ムハッラク島、シトラ島の3島。バーレーン本島とムハッラク、シトラ両島とはそれぞれ連絡橋で連結されている。本島の南東沖合約20kmにはハワール諸島がある。全土のほとんどが平坦な地形であり、本島中央部に一部丘陵部分があるが、最も高いところでも標高137mである。
7. 気候
高温多湿の夏季(5月~10月)と、比較的過ごしやすい冬季(11月~4月)に概ね二分される。
2022年各月の平均気温(℃)、湿度(%)、降雨量等(mm)は次のとおり。
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | |
気温 | 17.0 | 17.7 | 20.4 | 26.5 | 30.3 | 37.8 | 44.2 | 46.9 | 40.8 | 34.2 | 28.0 | 21.0 |
最高 気温 |
26.0 | 26.5 | 37.3 | 36.5 | 37.1 | 47.0 | 54.0 | 54.0 | 54.0 | 43.7 | 36.8 | 31.7 |
最低 気温 |
15.0 | 15.0 | 15.0 | 19.6 | 24.2 | 28.5 | 34.1 | 36.4 | 27.8 | 26.3 | 20.2 | 15.0 |
湿度 | 64.0 | 64.0 | 55.0 | 45.0 | 43.0 | 44.0 | 57.0 | 57.0 | 56.0 | 62.0 | 58.0 | 65.0 |
最高 湿度 |
80.0 | 82.0 | 74.0 | 66.0 | 61.0 | 70.0 | 73.0 | 74.0 | 72.0 | 79.0 | 74.0 | 77.0 |
最低 湿度 |
51.0 | 43.0 | 36.0 | 24.0 | 28.0 | 21.0 | 37.0 | 36.0 | 33.0 | 40.0 | 39.0 | 52.0 |
総雨量 | 58.0 | 0.0 | 0.5 | 0.1 | 0.8 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.4 |
8. 人口
総人口 150.4万人(2022年:バーレーン情報・電子政府庁)
・自国民 71.9万人(47.8%)
・外国人 78.5万人(52.2%)
9. 民族構成(外国人を除く)
アラビア半島に起源を有するアラブ人が主流。但しペルシャから渡来したイラン人を先祖に持つイラン系アラブ人も多数。
10. 宗教
国教はイスラム教(スンニ派約3-4割、シーア派約6-7割)
11. 言語
公用語はアラビア語。英語が広く通用。
12. 国祭日
12月16日(イーサ前首長の即位記念日)及び17日
13. 国旗
縦横の比較は4対5、中央より左側5分の1が白色、右側5分の4が赤色で、両色の境界部分は白色と赤色が波形に交叉。赤は祖国のために流された尊い血を表す。白は平和を象徴する。赤と白で作られる5つの波形は、イスラムの教えの5原則(唯一神、祈り、喜捨、断食、巡礼)を表す。
14. 通貨
バーレーン・ディナール(BD)
1米ドル=0.376BD(対ドル固定)
15. 政治体制
(1) 政体: 立憲君主制
(2) 元首: ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ国王陛下
H.M. King Hamad bin Isa Al Khalifa
The King of the Kingdom of Bahrain
1950年1月28日生まれ。1999年3月6日第11代首長に即位、
2002年2月14日の憲法改正により初代国王に即位。
(3) 政党: 政党の設立は禁止されているが、政治団体が選挙の候補者を選出し、議会においてブロックとして活動するなど、実質的に政党の役割を果たしている。
(4) 議会: 勅撰の諮問院(定員40名、サーレフ議長)、公選の下院(定員同、アフマド・ムサッリム議長)からなる二院制。任期は4年(現任期は2022年~2026年まで)。
(5) 行政: 18の省から構成。国内を4つの県に区分。サルマン皇太子が首相を兼任。
16. 軍事
(1) 組織
最高司令官: ハマド国王
副最高司令官: サルマン皇太子兼首相(ハマド国王長男)
総司令官: ハリーファ・ビン・アフマド・アール・ハリーファ元帥(王族)
参謀総長: ズィヤーブ・ビン・サクル・アル・ヌアイミ(中将)
国家防衛隊司令官: ムハンマド殿下(国王の弟)
(2) 兵力他
正規軍: 8,200(陸6,000、海700、空1,500)
準軍事組織: 11,260
(3) 国防費
約14億ドル(2023年予算)
(出典:IISS他)
17. 司法
(1) 法令審査を行う憲法裁判所、民事・刑事訴訟判決の再審を行う破棄院(最高裁に該当)、イスラム法に基づく身分事案を裁くシャリーア裁判所(スンニ系とシーア系に分かれる)、民事裁判所、刑事裁判所の各裁判所・院から成る。
(2) 民事裁判所は控訴院、400BD相当以上の事案を裁く高等裁判所、同金額未満相当の事案を裁く下級裁判所、労働裁判所、執行裁判所等から成る(シャリーア裁判所も基本構成は民事裁判所と同じ)。
(3) 刑事裁判所は控訴院、禁固3年以上若しくは罰金500BD以上の刑罰に相当する刑事事件を裁く高等裁判所及び禁固3年若しくは罰金500BD未満刑罰に相当する刑事事件を裁く下級裁判所から成る。
18. 経済
(1) 最近の状況
ア.国内総生産
名目GDP: 523.9億ドル(2022年) 380.9億ドル(2021年)
実質GDP: 337.3億ドル(2022年) 326.6億ドル(2021年)
イ.経済成長率(2022年/2021年比)
名目GDP: +13.5%
実質GDP: +4.9%
ウ.GDP(実質)に占める主要セクター: 金融17.5%、石油16.9%、製造業14.0%、建設7.2%(2022年)
【出典 バーレーン情報・電子政府庁】
(2) 財政
石油・ガス部門の実質GDP寄与度は2割以下に抑えられているものの、国家財政収入の約6割は石油・ガス部門に依存しており、油価低迷や政府部門の肥大化に加え、新型コロナ感染拡大に伴う経済活動停滞により財政赤字が続く。財政状況の悪化を受けて、付加価値税(VAT)導入や、公共支出削減及び非石油収入増加を織り込んだ「財政均衡プログラム」導入を条件に湾岸3か国(サウジアラビア、UAE、クウェート)による100億米ドルの財政支援が2018年10月に合意された。VATは2019年1月に5%で導入され、2022年1月に10%へ引き上げられた。財政均衡プログラムは当初2022年の財政均衡化達成を目標としていたが、コロナの影響により、2022年1月に経済再生計画が発表され均衡化目標は2024年に後ろ倒しされた。
(単位 :百万BD)
2013年 | 2014年 | 2015年 | 2016年 | 2017年 | |
財政収支 | △410 | △455 | △1,517 | △1,635 | △1,336 |
2018年 | 2019年 | 2020年 | 2021年 | 2022年 | |
△895 | △684 | △1,671 | △954 | △178 |
(3) 経済開発委員会(EDB)による「経済ビジョン2030」
2008年10月、経済開発委員会(議長:サルマン皇太子兼首相)の主導により、21世紀のバーレーンの開発指針を示した「経済ビジョン2030 (Economic Vision 2030)」が公表された。持続可能性、競争力、公平性に基づき、民間主導の経済を目指すものとし、産業多角化促進(主に輸出指向型産業)、世界基準の社会インフラ整備、石油収入依存脱却、自国民の労働能力改善、2030年までの国民所得倍増を掲げている。
(4) 石油・天然ガス
石油埋蔵量・生産量共に他のGCC諸国に比較して極めて小さく、生産量4.2万~4.3万バレル/日のバーレーン油田(内陸油田)と、サウジアラビアとの共同油田でアラムコが操業を行い、サウジ側からバーレーン取り分の15万バレル/日を受け取るアブサファ油田(オフショア油田)がある。2018年にはバーレーン西岸沖で当国史上最大埋蔵量を誇る石油・天然ガス田とされるハリージ・アル・バーレーン油田が発見されたが、採掘の技術的難易度は高いとされている。また国内の電力は主に自国産の天然ガスを利用した火力により発電されているが、2022年には新たな陸上の天然ガス貯留層が発見され2024年の商業化採掘を目指している。
19. 略史
(1) バーレーンは良質の水に恵まれ、紀元前17世紀バビロニア、アッシリア帝国の時代からディルムン、ニデュク・キの名で知られる有力な貿易中継港であった。紀元前7世紀アッシリアの崩壊とともにバーレーンも一時衰えたが、紀元前3世紀から紀元15世紀にかけて真珠の産地として栄えた。
(2) バスコ・ダ・ガマのポルトガル艦隊がインド洋に現れるに至って、ペルシャ湾内にもヨーロッパ勢力が進出し、バーレーンは1521年から1602年までポルトガルの支配に入った。ついで真珠をめぐる争いからポルトガルに代わってペルシャが侵入、約180年間バーレーンを領有した。
(3) 1783年にはアラビア半島からハリーファ家(現王家)率いるウトバ族が到来しペルシャ人を駆逐、約2世紀半にも及ぶ外国支配に終止符を打ち、バーレーン支配を確立した。しかし、英国のインド洋覇権が固まるにつれバーレーンも同国の影響下に置かれるようになり、1861年平和条約、1880年には排他条約を締結し、英国保護領となった。
(4) バーレーンの近代史は1932年の石油生産開始(輸出は1934年から)で幕を開ける。バーレーンは石油採掘利権収入によりいち早く教育、社会資本の整備に着手し、近代化の歩みを開始するとともに、1967年英国のアデン撤退に伴い同国艦隊基地がバーレーンに移転されたことから、バーレーンの政治的・軍事的重要性が高まった。
(5) 1968年英国政府が財政困難を理由にスエズ以東からの撤退を宣言したことを受け、バーレーンは独立し、近隣首長国との連邦結成の方針を決めた。しかし、これに対しイランがバーレーンの領有権を主張し事態は紛糾。その後1970年に国連安保理が斡旋に乗り出したことからイランが領有権主張を撤回、バーレーン住民の意志に基づく独立が認められた。一方、近隣首長国との連邦結成の動きは各国の足並みが揃わず難航したため、バーレーンは1971年単独で独立を宣言した。
20. バーレーン現代史(独立後の推移)
1971年8月 | 英国と「友好・協力協定」締結 |
1971年9月 | 国連加盟 |
1971年12月 | 米海軍基地設立 |
1972年12月 | 制憲議会選挙 |
1973年5月 | 新憲法制定(6月公布) |
1973年12月 | 国民議会選挙 |
1975年8月 | 国民議会解散 |
1980年9月 | イラン・イラク戦争勃発、イランとの関係悪化 |
1981年5月 | GCC(湾岸協力理事会)設立 |
1981年12月 | 「バーレーン解放イスラム戦線」によるクーデター未遂事件 |
1986年4月 | カタール軍によるデイビル島攻撃(領土紛争) |
1986年11月 | キング・ファハド・コーズウェイ開通(サウジアラビアとバーレーンが陸路で結ばれる) |
1990年8月 | イラクのクウェート侵攻 |
1991年1月 | 湾岸戦争勃発、多国籍軍に参加 |
1991年10月 | 米国と防衛協力協定締結 |
1992年7月 | 英国と軍事協力に関する合意文書に署名 |
1992年12月 | 諮問評議会設置 |
1993年2月 | イーサ空軍基地開所 |
1994年12月 | シーア派による反政府騒擾事件発生 |
1995年6月 | 米中央海軍(NAVCENT)司令部設立 |
1996年6月 | 政府による騒擾事件へのイラン関与の発表、大使を召喚してイランとの外交関係格下げ |
1996年12月 | カタールにて開催のGCC首脳会議(サミット)欠席 同サミットではGCCによるバーレーン・カタール関係改善のための仲介が決定される |
1997年10月 | 国連安保理の非常任理事国(1998~1999年)に選出 |
1998年12月 | イランとの間で大使レベルの外交関係回復 |
1999年3月 | イーサ首長急逝(享年65歳) ハマド皇太子が第11代首長に即位 |
1999年6月 | ハマド首長による特赦例発布 320名の拘留者の保釈、41名の刑事受刑者の刑の停止、12名の国外追放処分者の復権を命じる |
2000年12月 | マナーマにおいてGCCサミットが開催される |
2001年2月 | 国民行動憲章採択 |
2001年2月 | 治安維持法及び治安裁判所を廃止 |
2001年3月 | 国際司法裁判所(ICJ)が、カタールとの間で係争となっていたハワール諸島のバーレーン帰属等の判決を言い渡す |
2002年2月 | 憲法改正 王国に体制変更し、二院制議会設立、婦人参政権付与を規定 |
2002年5月 | 地方行政評議会選挙 |
2002年10月 | 第1回下院選挙 |
2002年12月 | 二院制議会開会 |
2002年3月 | 対イラク武力行使開始、反戦デモ、集会が開かれる |
2004年4月 | 第1回F1バーレーン・グランプリ開催(以降2011年を除き毎年開催) |
2004年5月 | 米国とFTA締結(2006年8月発効) |
2004年12月 | 第1回IISSマナーマ対話開催(以降2011年を除き毎年開催) |
2006年10月、11月 | 第2回下院選挙 |
2008年1月 | サルマン皇太子の国防軍副最高司令官任命 |
2008年10月 | 「経済ビジョン2030(Economic Vision 2030)」発表 |
2009年4月 | 治安関連事件を起こした178名(シーア派政治活動家3名も含む)に恩赦 頻発していた騒擾事件が一段落 |
2009年10月 | ハリーファ首相とサルマン皇太子の称号がシェイクからアミール(Prince)へ変更 |
2009年11月 | サビーカ王妃の称号がシェイハからアミーラ(Princess)へ変更 |
2009年12月 | ハリーファ・ビン・サルマン港開港 |
2010年10月 | 第3回下院選挙 |
2010年11月 | 内閣改造及び諮問院議員10名交代 |
2011年2月 | 大規模な反政府デモ発生 |
2011年2月 | 反政府派下院議員が辞職 |
2011年3月 | サウジアラビア軍を中心とするGCC合同軍がバーレーンへ進駐 |
2011年3月 | 非常事態宣言発出 |
2011年6月 | 非常事態宣言解除 |
2011年7月 | 「国民対話」の実施 |
2011年9月 | 下院補欠選挙実施(反政府派はボイコット) |
2011年11月 | 独立調査委員会(BICI)報告書の提出 |
2012年5月 | 憲法改正 国民議会(諮問院及び下院)の役割強化、行政権と立法権の関係再構築 〔*2011年7月実施の「国民対話」の結果を受けて行われている一連の改革の一環〕 |
2012年12月 | マナーマにおいてGCCサミットが開催される |
2013年2月 | 「国民対話」の再開 |
2013年3月 | サルマン皇太子の第1副首相任命 |
2014年11月 | 第4回下院選挙、反政府派は選挙をボイコットし、「国民対話」停止 |
2014年12月 | 英国と防衛協定締結 |
2015年9月 | 内閣改造 |
2016年1月 | イランとの外交関係断絶 |
2016年11月 | 英国海軍支援施設開所 |
2017年6月 | カタールとの外交関係断絶 |
2018年4月 | 大規模油田及びガス田の発見 |
2018年11月 | 第5回下院選挙 |
2018年12月 | 新内閣発足 |
2020年9月 | イスラエルとの国交正常化合意(アブラハム合意署名) |
2020年10月 | イスラエルとの外交関係樹立 |
2020年11月 | ハリーファ首相薨去、サルマン皇太子の首相任命 |
2021年1月 | ウラーにおけるGCCサミットにてカタールとの関係改善につき合意 |
2022年6月 | 内閣改造 |
2022年11月 | 第6回下院選挙 |
2022年12月 | 新内閣発足 |
2023年4月 | カタールとの外交関係回復に合意 |