1 国名
バーレーン王国 ( Kingdom of Bahrain)
「バーレーン」の国名は,「2つの海」を意味するアラビア語。「2つの海」とは,島の周りの海と,海の底から湧き出る真水を指すと言われている。
2 独立
1971年8月14日
3 首都
マナーマ (Manama)
4 位置
アラビア半島東方沖合22kmのペルシャ(アラビア)湾内。北緯25度32分~26度20分 (沖縄とほぼ同緯度)東経50度20分~50度50分。サウジアラビア東岸とカタル半島に挟まれた小島。サウジアラビア東岸とはコーズウェイ(世界で3番目に長い橋)で結ばれている。
5 面積
757.5 平方km(2008年 中央情報局) ※東京23区と川崎市を併せた面積とほぼ同じ大きさ
6 地勢
33の島から構成。主要な島はバーレーン本島,ムハッラク島,シトラ島の3島。バーレーン本島とムハッラク,シトラ両島とはそれぞれ連絡橋で連結されている。本島の南東沖合約20kmにはハワール諸島がある。全土のほとんどが平坦な地形であり,本島中央部に一部丘陵部分があるが,最も高いところでも標高137mである。
7 気候
高温多湿の夏季と比較的温暖な冬季に概ね二分される。
各月の平均気温,湿度及び降雨量は次のとおり(2009年バーレーン航空局資料)。
・平均気温(℃)
|
JAN. |
FEB. |
MAR. |
APR. |
MAY. |
JUN. |
JUL. |
AUG. |
SEP. |
OCT. |
NOV. |
DEC. |
最高 |
27.3 |
30.0 |
30.7 |
39.7 |
45.6 |
45.6 |
42.9 |
45.4 |
41.8 |
35.8 |
35.4 |
24.4 |
最低 |
8.6 |
11.9 |
14.4 |
18.0 |
24.9 |
28.6 |
30.3 |
29.5 |
25.6 |
22.9 |
17.1 |
14.5 |
・平均湿度(%)
|
JAN. |
FEB. |
MAR. |
APR. |
MAY. |
JUN. |
JUL. |
AUG. |
SEP. |
OCT. |
NOV. |
DEC. |
最高 |
92 |
98 |
85 |
86 |
79 |
81 |
72 |
86 |
85 |
82 |
88 |
88 |
最低 |
27 |
18 |
15 |
7 |
6 |
7 |
11 |
9 |
15 |
14 |
24 |
37 |
・降雨量等(?o)
|
JAN. |
FEB. |
MAR. |
APR. |
MAY. |
JUN. |
JUL. |
AUG. |
SEP. |
OCT. |
NOV. |
DEC. |
降雨量 |
0.2 |
1.6 |
4.6 |
10.8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.05未満 |
0 |
8 人口
総人口 123.5万人(2011年:中央情報局)
・自国民 56.8万人(46%)
・外国人 66.7万人(54%)
9 民族構成(外国人を除く)
アラビア半島に起源を有するアラブ人が主流。但しペルシャから渡来したイラン人を先祖に持つイラン系アラブ人も多数。
10 宗教
国教はイスラム教(スンニー派約3-4割,シーア派約6-7割)
11 言語
公用語はアラビア語。英語が広く通用。
12 国祭日
12月16日(イーサ前首長の即位記念日)
13 国旗
縦横の比較は4対5,中央より左側5分の1が白色,右側5分の4が赤色で,両色の境界部分は白色と赤色が波形に交叉。赤は祖国のために流された尊い血を表す。白は平和を象徴する。赤と白で作られる5つの波形は,イスラムの教えの5原則(唯一神,祈り,喜捨,断食,巡礼)を表す。
14 通貨
バーレーン・ディナール(BD)
1米ドル=0.377BD(対ドル固定)
15 政治体制
(1) 政体: 王制
(2) 元首: ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ国王陛下
H.M.King Hamad bin Isa Al-Khalifa
The King of the Kingdom of Bahrain
1950年1月28日生まれ。1999年3月6日第11代首長に即位,2002年2月14日の憲法改正により初代国王に即位。
(3) 政党: 政党の設立は禁止されているが,政治団体が選挙の候補者をノミネートし,議会においてブロックとして活動するなど,実質的に政党の役割を果たしている。
(4) 議会: 勅撰の諮問院(定員40名,サーレフ議長),公選の下院(定員同,ザハラーニ議長)からなる二院制。任期は4年(現任期は2010年~2014年まで)。
(5) 行政: 18の省から構成。国内を5つの行政地域に区分。
16 軍事
(1) 組織
最高司令官: ハマド国王
副最高司令官: サルマン皇太子(ハマド国王長男)
総司令官: ハリーファ・ビン・サルマン・アール・ハリーファ(王族)
参謀総長: ダイジ・ビン・サルマン・アール・ハリーファ(王族)
国家警備隊司令官: ムハンマド殿下(国王の弟)
(2) 兵力(ミリタリー・バランス2010)
正規軍: 8,000
準軍事組織: 11,000
(3) 国防費(ミリタリー・バランス)
5.53億ドル(2010年予算)
17 司法
(1) 法令審査をする憲法裁判所,民事・刑事訴訟判決の再審を行う破棄院,イスラム法に基づく身分事案を裁くシャリーア裁判所(スンニー系とシーア系に分かれる),民事裁判所,刑事裁判所の各裁判所・院から成る。
(2) 民事裁判所は控訴院,400BD相当以上の事案を裁く高等裁判所,同金額未満相当の事案を裁く下級裁判所から成る(シャリーア裁判所も構成は民事裁判所と同じ)。
(3) 刑事裁判所は控訴院,禁固14年以下若しくは罰金1500BD以下の刑罰に相当する刑事事件を裁く高等裁判所,禁固5年以下若しくは罰金500BD以下の刑罰に相当する刑事事件を裁く中等裁判所,及び禁固2年以下若しくは罰金300BD以下の刑罰に相当する刑事事件を裁く下級裁判所より成る。
18 経済
(1) 最近の状況
国内総生産
(名目GDP)218.5億ドル(10年)
205.5億ドル(09年)
(実質GDP)132.9億ドル(10年)
128.4億ドル(09年)
実質成長率(GDP) 3.4%(09年/10年比)
【出典 Central Bank of Bahrain】
一人当たり GDP(名目)は,17,699ドル(10年)。
GDP(実質)の主な内訳は,金融26.5,製造業16%,石油12.7%,不動産9.8%となっている。
石油の産出量は少ないが,GCCの一員としてオイルマネーの恩恵を受けており,様々なプロジェクトが進行中である。また中央銀行の不動産分野等における抑制的な金融政策により,2008年秋以降の世界的経済危機の影響も限定的である。
(2) 財政
2011-2012年の2年編成の予算計画において,概算国家収入額は,46.3億バーレーン・ディナール(BD)(122.7億米ドル)である。11年の概算収入額は22.8億BD(60.4億米ドル)であり,12年は,23.4億BD(62.4億米ドル)である。2年間の総支出額は,63億BD(166.9億米ドル)である。11年は,31.2億BD(82.7億米ドル),12年は,30.7億BD(81.4億米ドル)である。なお,なお歳入について,国家収入の8割を占める石油の予算上の前提油価は,80米ドル/バレルとしている。
財政実績 (単位 :百万BD)
|
2004年 |
2005年 |
2006年 |
2007年 |
2008年 |
2009年 |
2010年 |
歳入 |
1300.4 |
1671.0 |
1839.0 |
2036 |
2667.6 |
1398.9 |
1463.9 |
(石油・ガス収入比) |
72.6% |
75.7% |
67.6% |
80% |
85.1% |
75.8% |
76.7% |
歳出 |
1104.6 |
1289.0 |
1558 |
1818 |
2060.3 |
2082.9 |
2082.2 |
経常支出 |
864.0 |
1024.0 |
1101 |
1331 |
1552.0 |
1777.9 |
1887.7 |
資本支出 |
240.6 |
264.0 |
457 |
487 |
508.3 |
305 |
305 |
政府予算は2年分一括して策定される。
。
【出典 Ministry of Finance】
(3) 経済開発委員会(EDB)による「経済ビジョン2030」
2008年10月,経済開発委員会(議長:サルマン皇太子)の主導により,21世紀のバーレーンの開発指針を示した「経済ビジョン2030(Economic Vision 2030)」が公表された。持続可能性,競争力,公平性に基づき,民間主導の経済を目指すものとし,産業多角化促進(主に輸出指向型産業),世界基準の社会インフラ整備,石油収入依存脱却,自国民の労働能力改善,2030年までの国民所得倍増を掲げている。
(4) 石油
生産量(単位:US千バレル) (国内生産分のみでアブサファ油田(サウジアラビアとの共同油田)生産分15万B/Dは除く)
2006年 |
2007年 |
2008年 |
2009年 |
2010年 |
13,085 |
12,552 |
12,027 |
11,750 |
11,635 |
(5) 天然ガス
ガス生産量 (単位 :百万立方フィート )
2006年 |
2007年 |
2008年 |
2009年 |
2010年 |
487,932 |
507,601 |
538,223 |
543,425 |
556,644 |
※国内で生産される天然ガスは全量国内消費される。
【出典 National Oil & Gas Authority】
19 略史
(1)バーレーンは良質の水に恵まれ,紀元前17世紀バビロニア,アッシリア帝国の時代からディルムン,ニデュク・キの名で知られる有力な貿易中継港であった。紀元前7世紀アッシリアの崩壊とともにバーレーンも一時衰えたが,紀元前3世紀から紀元15世紀にかけて真珠の産地として栄えた。
(2)バスコ・ダ・ガマのポルトガル艦隊がインド洋に現れるに至って,ペルシャ湾内にもヨーロッパ勢力が進出し,バーレーンは1521年から1602年までポルトガルの支配に入った。ついで真珠をめぐる争いからポルトガルに代わってペルシャが侵入,約180年間バーレーンを領有した。
(3)1783年にはアラビア半島からハリーファ家(現王家)率いるウトバ族が到来しペルシャ人を駆逐,約2世紀半にも及ぶ外国支配に終止符を打ち,バーレーン支配を確立した。しかし,英国のインド洋覇権が固まるにつれバーレーンも同国の影響下に置かれるようになり,1861年平和条約,1880年には排他条約を締結し,英国保護領となった。
(4)バーレーンの近代史は1932年の石油生産開始(輸出は1934年から)で幕を開ける。バーレーンは石油採掘利権収入によりいち早く教育,社会資本の整備に着手し,近代化の歩みを開始するとともに,1967年英国のアデン撤退に伴い同国艦隊基地がバーレーンに移転されたことから,バーレーンの政治的・軍事的重要性が高まった。
(5)1968年英国政府が財政困難を理由にスエズ以東からの撤退を宣言したことを受け,バーレーンは独立し,近隣首長国との連邦結成の方針を決めた。しかし,これに対しイランがバーレーンの領有権を主張し事態は紛糾。その後1970年に国連安保理が斡旋に乗り出したことからイランが領有権主張を撤回,バーレーン住民の意志に基づく独立が認められた。一方,近隣首長国との連邦結成の動きは各国の足並みが揃わず難航したため,バーレーンは1971年単独で独立を宣言した。
20 バーレーン現代史(独立後の推移)
1971年8月 |
英国と「友好・協力協定」締結 |
1971年9月 |
国連加盟 |
1972年12月 |
制憲議会選挙 |
1973年5月 |
新憲法制定(6月公布) |
1973年12月 |
国民議会選挙 |
1975年8月 |
国民議会解散 |
1980年9月 |
イラン・イラク戦争勃発,イランとの関係悪化 |
1981年5月 |
GCC(湾岸協力理事会)成立 |
1981年12月 |
「バーレーン解放イスラム戦線」によるクーデター未遂事件 |
1986年4月 |
カタール軍,ファシュト・ドベイル島攻撃(領土紛争) |
1986年11月 |
キング・ファハド・コーズウェー開通(サウジアラビアとバーレーンが陸路で結ばれる) |
1990年8月 |
イラクのクウェイト侵攻 |
1991年1月 |
湾岸戦争勃発,多国籍軍に参加 |
1991年10月 |
米国と防衛協定締結 |
1992年7月 |
英国と軍事協力に関する合意文書に署名 |
1992年12月 |
諮問評議会設置 |
1993年2月 |
シェイク・イーサ空軍基地開所 |
1994年12月 |
シーア派による反政府騒擾事件発生 |
1996年6月 |
政府による騒擾事件へのイラン関与の発表,大使を召喚してイランとの外交関係格下げ |
1996年12月 |
カタールにて開催のGCC首脳会議欠席
同首脳会議ではGCCによるバーレーン・カタール関係改善のための仲介が決定される |
1997年10月 |
国連安保理の非常任理事国(1998~1999年)に選出される |
1998年12月 |
イランとの間で大使レベルの外交関係回復 |
1999年3月 |
イーサ首長急逝(享年65歳)
ハマド皇太子が第11代首長に即位 |
1999年6月 |
ハマド首長,特赦例を発布
320名の拘留者の保釈,41名の刑事受刑者の刑の停止,12名の国外追放処分者の復権を命じる |
2000年12月 |
マナーマにおいてGCCサミットが開催される |
2001年2月 |
国民行動憲章採択 |
2001年2月 |
治安維持法及び治安裁判所を廃止 |
2001年3月 |
国際司法裁判所(ICJ)が,カタールとの間で係争となっていたハワール諸島のバーレーン帰属等の判決を言い渡す |
2002年2月 |
憲法改正
王国に体制変更し,二院制議会設立,婦人参政権付与を規定 |
2002年5月 |
地方行政評議会選挙 |
2002年10月 |
下院議院選挙 |
2002年12月 |
二院制議会開会 |
2002年3月 |
対イラク武力行使開始,反戦デモ,集会が開かれる |
2004年4月 |
第一回F1バーレーン・グランプリ開催(以降2011年を除き毎年開催) |
2004年5月 |
米国とFTA締結(2006年8月発効) |
2004年12月 |
第一回IISSマナーマ対話開催(以降2011年を除き毎年開催) |
2006年10月,11月 |
下院・地方議会総選挙 |
2008年1月 |
サルマン皇太子,国防軍副最高司令官に任命 |
2008年10月 |
「経済ビジョン2030(Economic Vision 2030)」発表 |
2009年4月 |
治安関連事件を起こした178名(シーア派政治活動家3名も含む)に恩赦
頻発していた騒擾事件が一段落 |
2009年10月 |
サルマン皇太子,ハリーファ首相の称号がシェイクからアミール(Prince)へ変更 |
2009年11月 |
サビーカ王妃の称号がシェイハからアミーラ(Princess)へ変更 |
2009年12月 |
ハリーファ・ビン・サルマン港開港 |
2010年10月 |
下院議院選挙 |
2010年11月 |
内閣改造及び諮問院議院10名交代 |
2011年2月 |
大規模な反政府デモが発生 |
2011年2月 |
反政府派の下院議員が辞職 |
2011年3月 |
サウジアラビア軍を中心とするGCC合同軍が進出 |
2011年3月 |
非常事態宣言発出 |
2011年6月 |
非常事態宣言解除 |
2011年7月 |
「国民対話」の実施 |
2011年9月 |
下院補欠選挙実施(野党はボイコット) |
2011年11月 |
独立調査委員会(BICI)報告書の提出 |
2012年4月 |
ハマド国王が初めて公式に日本を訪問 |
2012年5月 |
憲法改正
国民議会(諮問院及び下院)の役割強化,行政権と立法権の関係再構築
〔*2011年7月実施の「国民対話」の結果を受けて行われている一連の改革の一環〕 |
2012年12月 |
マナーマにおいてGCCサミットが開催される |
2013年2月 |
「国民対話」の再開 |
2013年3月 |
サルマン皇太子が第1副首相を兼任 |
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