Japan

Embassy of Japan in Bahrain
在バーレーン王国日本国大使館

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政治・外交


1 内 政
(1) 政体
ハリーファ家出身の国王を統治者とする世襲君主制。国王位は長子相続制により継承される。国王は勅命により立法権を行使する他,首相,閣僚及び裁判官の任免,法律の公布等により実質的に三権を掌握している。

(2) 政治情勢概況
ア ハマド国王の下,ハリーファ首相及びサルマン皇太子(主要閣僚がメンバーとなっている経済開発委員会の議長を兼任)が国家行政,経済を執行・運営するという役割分担。これを外相,内相等ハリーファ家の有力者が補佐する。但し,国民の約6割から7割がシーア派という構造的不安定要因は不変。
イ 1999年3月6日,イーサ首長の急逝により第11代首長に即位したハマド首長(2002年の憲法改正により国王)は,国民との融和による安定的な国家の繁栄を目指し,積極的な制度改革に取り組んでいる。2002年の憲法改正はその集大成であり,同年の本格的な普通選挙による公選議会の発足等,民主化に向けた努力は欧米諸国からも高く評価されている。
ウ 2009年4月,ハマド国王は,シーア派活動家を含む178名に恩赦を与え,2008年末から再び活発化していたシーア派国民によるデモや抗議活動の沈静化を図った。他方,シーア派国民は,政治,経済及び社会的に差別されているとの意識を持っており,引き続きデモ等の抗議活動が散発的に行われている。
エ 2010年10月,下院議員選挙が行われ,反政府政治団体ウィファークが18議席を獲得した。
オ 2011年2月,「アラブの春」の影響を受け,シーア派を中心とする大規模な反政府デモが活発化。首都マナーマの交通の要衝である「真珠広場」がその中心地となった。同3月,一部の過激化した反政府派の人々と治安部隊が衝突した結果,国家非常事態宣言が発出され,反政府運動は鎮圧された。またその際,サウジアラビア軍を中心とするGCC(湾岸協力理事会)合同軍がバーレーンに進出した。
カ 同年6月,国家非常事態宣言が解除され,7月には「国民対話」,9月には(反政府派議員の辞任に伴う)下院の補選が実施。反政府派も,認可された平和的な抗議デモを再開。
キ またハマド国王の主導により,2011年2月の騒擾時の様々な事案を検証する「独立調査委員会」が設立。同11月には政治改革を含む提言が提出され,バーレーン政府はその実現にコミットした。しかし,シーア派を中心とする反政府派は,対応が十分でないとして引き続き政府を批判。一部の過激な若者達は,非合法妨害活動(火焔瓶投擲,タイヤ放火,ガスシリンダー爆破,等)を散発させている。

(3) 政府の基本政策
 ・平和的・安定的な国家の発展と各種産業の育成,金融・貿易センターとしての発展を通じた経済的繁栄の確保。
 ・湾岸地域の安全確保とGCCの継続的発展。
 ・相互尊重および内政不干渉の原則に立脚した国際秩序の確保と諸外国との友好・協力関係の増進
 ・産業の多角化を通じた雇用創出とバーレーン人の職業訓練を通じた失業問題の解消。
 ・経済自由化による外国投資の誘致と民間セクター主導による経済の活性化。

2 外交
(1) 外交方針
ア 基本的環境
 ・湾岸諸国(GCC加盟国)との連帯関係を最優先事項としている。
 ・近隣の強国イランを潜在的脅威と捉えつつも良好な関係の継続に努力。
 ・石油供給ルートであるアラビア湾地域の重要性に配慮している。
イ 基本方針
 ・世界平和と安全の達成という国連の目的への支持と国連憲章の遵守。
 ・アラブ連盟,イスラム会議機構(OIC)及び非同盟運動(NAM)内での連帯強化。相互尊重,内政不干渉等の原則に基づく諸外国との友好関係の維持・強化。
 ・GCC体制の維持強化,協力と協調を通じた政治的安定,集団安全保障,経済的繁栄の達成。
 ・中東和平プロセスについては,パレスチナ人の諸権利獲得に連帯を表明すると共に,パレスチナに加え,シリア及びレバノンによるイスラエルとの包括的,且つ,永続する和平の達成への諸努力に対し支持を表明している。イスラエルとの関係確立は,包括的和平の達成後に検討されるものとしている。

(2) 近隣・主要国との関係
ア 湾岸協力理事会(GCC)諸国
 バーレーンはGCC諸国との連帯を外交基本方針とし,従来よりGCCとしての政策立案とその執行に積極的に参画しており,加盟国との間では兄弟的絆に近い緊密な関係にあると言えるが,中でもサウジアラビアとは海上架橋(コーズウェイ)で結ばれており,また同国との共同油田(アブサファ海上油田)産出油の半分を得ており最も密接な関係にある。
  2011年2−3月に当地で大規模な反政府デモが発生した際,サウジアラビア軍を中心とするGCC合同軍がバーレーンに進出。具体的な軍事行動は取らなかったが,本島内に駐屯した。2014年3月,バーレーン,サウジアラビア及びアラブ首長国連邦の3か国は,カタールがGCCのメンバーとしてふさわしくない行動を行っているとして,それぞれの駐カタール大使を召還するとの措置をとった。
イ イラン
 バーレーンはシーア派が人口の約6割から7割を占めることから,バーレーン政府は,イランの影響力拡大に対する潜在的警戒心が根強い。1996年6月に発覚した政府転覆計画に関し,バーレーン政府はイランが関与していた旨発表し,駐イラン・バーレーン大使を召還した。1997年にイランでハタミ政権が成立してからは,同年12月に,大使の交換(復帰)が実現し,1999年5月には,政治及び経済分野における両国合同委員会の設立に合意するなど,関係改善が進んだ。その後も,2002年8月のハマド国王のイラン訪問,2003年5月のハタミ大統領のバーレーン訪問が行われ,2007年11月には,アフマディネジャード大統領が当国を訪問している。
  2011年2−3月に当地で発生した大規模な反政府デモについて,バーレーン政府はイランの内政介入を強く非難。双方の大使は本国に召還された。その後,バーレーン側は,大使を戻したが,イランはバーレーンにおけるシーア派弾圧を非難し,バーレーンはイランが内政干渉していると述べており,非難の応酬が続いており,両国関係の改善は見られない。
ウ イラク
 従来,フセイン体制下のイラクとの関係は極めて良好であったが,1990年8月のクウェート侵攻により関係が悪化。国連の対イラク経済制裁によるイラク国民の惨状を目の当たりにし,イラクが早急に安保理決議を履行することを望むと共にイラクとの関係をアラブの大義,湾岸の安全保障という見地から正常化したいとの意向を有するようになった。2003年の対イラク武力行使に際しては,最後まで武力行使回避に努力した。フセイン政権崩壊後には,安全かつ安定し独立したイラク建設に向けて,これまでにイラク市民防衛隊消火活動訓練やイラク人医師の訓練等を実施している。2009年秋以降イラクとの直行便を再開している。
エ 米国
 スタンダード石油会社による石油発見(1932年)以来の米国の湾岸地域における政治・軍事・経済活動の重要拠点。バーレーン側は自国及び地域の安全保障を米国の軍事プレゼンスに期待し,最大限の協力を行っており,NATO域外における米国の最善の同盟国を標榜。実際に,イラン・イラク戦争及び湾岸戦争を経て,バーレーンは米海軍第5艦隊の本拠点となっている。また2006年1月,湾岸諸国では初めて自由貿易協定(FTA)を締結。
2011年2−3月に当地で大規模な反政府デモが発生した際,米国はバーレーンの「民主化」と「改革」が充分ではないとして,バーレーン政府批判を行った。このため,バーレーン政府は米国がバーレーンの内政に干渉しているとの発言を行い,両国関係に緊張が見られたが,バーレーンが安全保障の面で米国に依存していることに変わりはない。
オ 英国
 かつての英国統治以来の緊密な関係にある。特に英王室とハリーファ家との関係は極めて親密であり,相互の交流も頻繁。1992年7月,防衛協力に関する合意文書に署名した。2012年10月,再度防衛協力協定に署名。
カ 東・東南アジア
 2002年以降,経済面を中心に東・東南アジア諸国との関係強化の動きが急である。中でも,ハリーファ首相による積極的な同地域訪問,関係各国からの活発な要人訪問が繰り返されており,2003年には新たにタイ,マレーシアがバーレーンに大使館を開設した。2010年3月にはアピシット・タイ首相ががバーレーンを訪問し,また,2012年4月にはハマド国王がタイを訪問,2013年9月には中国を訪問している。
キ 南西アジア
 インド,パキスタンをはじめとした南西アジア諸国から,単純労働から知的労働まで含め,多くの労働者がバーレーンで働いている他,ビジネス関係者の活躍も目立つ。特に急速な経済成長を遂げているインドに対するバーレーンの関心は高く,2014年2月には,ハマド国王がインドを初訪問している。

 

 

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